小林よしのり氏『民主主義という病い』第12章の締め括りの、
洞察に富んだ印象深い台詞。
「自由・平等・人権・文明という美しい理念と、野蛮な歴史の実態
とのカイ離… それがフランスの、いや西欧諸国の今に影を落とし、
暴力の連鎖を生み出している。文明国こそが野蛮だったのだ!」。
ここから様々な先人の言葉を連想する。
例えば会田雄次氏。
「ヨーロッパ人…のヒューマニズムは、極めて簡単に対象を
ヒューマニズムの適用外に置くことができる構造を持っている。
しかも適用外に置くということは、それらをどのように取扱おうと、
殺そうと、どんな殺し方をしようと、なんの社会的反対もうけないで
すみ得るし、又殺す方の人々にとって良心のいたみを感じないですむ
ということなのだ。
…あるいはある程度の待遇をしてくれたにせよ、それは、牛の乳の出を
よくし、より強く犂(すき)をひかし、豚を肥(こや)すためでしか
ない。
ちょうど魔法使いにとらえられたヘンゼルとグレーテルの場合の
ように」
(「ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界」初出は昭和30年)
又、岡倉天心。
「西洋に於(おい)ては、国際道徳は個人道徳の到達している標準より
も、依然として遥かに低い状態にある。侵略国民は何等(なんら)
道義心を持っていない、そして弱小民族を迫害するために、騎士道は
すべて忘れられている。
自己防衛の力と勇気のないものは、奴隷とせられなければならない。
…欧羅巴(ヨーロッパ)が誇示している病院と水雷、基督(キリスト)
教宣教師と帝国主義、平和の保証としての莫大な軍備維持ーこれ等の
奇妙な組合せは一体何を意味するか。
…斯(か)くの如(ごと)きは日本の王政復古の理想ではなかった、
また明治維新の目的ではなかったのである。
…欧羅巴は我々に戦争を教えたが、何時になったら平和の有難さを
悟るであろう」
(『日本の目覚め』初出は明治37年、英文、ニューヨークで刊行)。
「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と
見なしていたものである。
しかるに満州の戦場で大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んで
いる。
…もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉に
よらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に
甘んじよう。
われわれはわが芸術および理想に対して、
しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」
(『茶の本』初出は明治39年、前著と同じく英文、ニューヨークで
刊行)ー